こんにちは、まぁです。
役所とか公務員ってよく無駄が多いとか言われますよね。
実際に役所勤めしてた者からすると、誤解されているところもたくさんあるのですが、確かに無駄なこともあります。
そのような中の1つが市役所の会議です。
今回は市役所の会議が無駄なのかどうかについてお話しします。
Contents
市役所は会議がお好き?
市役所は会議が大好きです。
とにかく会議の数が多い。
会議そのものを否定する気はありません。民間でも会議はしますし、いいアイデアやプランがみんなで議論することで生まれることも多々あると思うので。
問題はその中身です。すべてとは言いませんが、生産性のない会議が結構あります。
ただ、「会議好き」という表現は、公務員の人たちが会議が好きという意味ではなく、システム的な問題だと考えます。
今回は市役所の会議の中で、付属機関と言われる審議会など法律や条例に基づいて実施される会議の場合のお話になります。
会議の準備にとてつもなく時間と労力を費やす
会議を開催するための準備は、会議の大小にもよりますが、かなり早い段階から準備に入ります。(1ヶ月前とか2ヶ月前とか)
ただし、この段階で概ねの会議の結果の方向性は出ています。
会議で委員に検討してもらうための資料というよりも、会議で方向性について納得してもらうための資料作りです。
委員に納得してもらうために、仮に70%程度の根拠から資料作りを始めたなら、それを80%、90%、99%の出来に仕上がるまで精度を上げていきます。この資料作りに結構な時間を費やし、忙殺されます。
また資料を作る過程で、何回か会議のための会議があります。
これもまた資料の精度を上げるためにするのですが、今から思うと本当に無駄だと思います。
そして、ほぼ資料ができあがったところで決裁を取ります。
ここで最終の上司のチェックが入ります。
この時点で会議のシナリオもできあがっている感じです。
会議の本番は出来レース
会議は前述のように資料を練り上げてあるので、基本的に粛々と進むことが多いです。
審議会などでは、委員同士で議論を交わすというよりも、委員が持論を述べたり、委員が質問して事務局が答えるという場面が多いです。
事務局はどんな質問が来ようと答えなければなりません。方向性が変わらないように。。。
仮に答えに窮した時は、部長が後ろを向き、そして向かれた課長が後ろを向き、そして係長と担当がアタフタするという光景がたまにあります笑
そして「次回までに検討します」「善処してみます」という感じで、はっきりしないまま終わることが大半です。
その場で「委員のご指摘の通りですので変更します」みたいなことは細かな部分だけで大きな方針変更があることはまずありません。
そして次回までに「回答」を用意して元の案を通します。
会議が出来レースになる原因
結果はもちろんですが、事務局案が大筋で合意されます。
委員の意見が気持ち程度足される程度ですね。
上司たちは終わると1つの山を超えたみたいな感じで安堵しているのですが、僕は毎回この時に達成感というよりは、空虚感に苛まれていました。
また無駄な時間を過ごしてしまった・・・と。
なぜこのような会議になるのか、僕なりに考えてみたのが以下のとおりです。
・有識者や市民の意見を聞き決定したというプロセスが大事
・税金で事業をするという重み
・課題解決型の行政運営
有識者や市民の意見を聞き決定したというプロセスが大事
「結果重視」ではなく「プロセス重視」ということです。
会議の担当者は係長に承認をもらい、係長は課長に承認をもらい、課長は部長に承認をもらい、部長は市長に承認をもらい、市長は審議会に承認をもらいという「プロセス」と「責任の分担」が何よりも重要になるのです。
税金で事業をするという重み
役所が行う事業が税金で賄われるという性質上、それを使う役所には大きな責任があります。失敗は絶対にできないのです。
僕は結果的に労力を会議の準備ために費やしている職員の人件費の方が、よっぽど税金を無駄に使っているように思いますが、それでもそうしなければならないほど、住民に対しての責任がのしかかっているのだと思います。
課題解決型の行政運営
社会が多様化し、次から次へと課題が湧き上がってきて、それに追われ続けるという状況が役所では続いています。
結果、会議や施策そのものがどうしても「課題解決型」の内容になります。
「○○対策」とか「○○を未然に防止するために」という言葉が多く使われるようになります。課題解決型の議論をすると、マイナス思考になりイタチの追いかけっこで生産性が低い議論になるのではないのかなと思います。
本来、緊急度が低く重要度が高いものが将来に向けて生産性の高いものとなるのですが、緊急性が高い課題に忙殺されてそこに行き着かないというジレンマがあるのだと思います。
まとめ
今回は市役所の会議についてお話ししましたが、この「会議の無駄」は役所のシステムの問題ではありますが、こうせざるを得ない状況を作っているのは、役所に過度に依存する社会全体の問題でもあると思います。決して公務員の人たちもこのような形を望んでいるわけではありません。
しかし役所も、どこかでこの負のスパイラルを断ち切り、住民に怯えるのではなく、真に住民のために将来に向けて生産性のある会議が増えていってくれることを望みます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。